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人工芝化する灘崎町総合公園多目的広場サッカー場 [地元のメディアより]

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管轄は岡山市。2009年度一般会計予算案に事業費100.000.000円を盛りこんで天然芝から人工芝にする。天然に比べ管理が簡単とか、足腰に負担が無く荒れにくくて常時使用可能(現在月3回まで、4月は全滅)が主な理由。利用対象者は今季J2昇格のファジアーノ岡山。さらに4機の「夜間照明設備」もこの3月に完成。その「夜間照明設置工事」の落札価格は77.301.000円(税別)。(以下入札一覧表)。測量・建築コンサルタントの委託「夜間照明設置工事の設計業務委託」の入札は6件。1.680.000円が最も低い。

http://keiyaku.city.okayama.okayama.jp/keiyaku/servlet/KEKO.KEKOKEK_S020?SelKojiNo=420020050&SelNyusatsuYMD=20081022&SelYear=2008&SelMonth=10&change=false

「国営岡山南部農業水利事業」と平成21年2月1日よりゴミ有料化、そして無断投棄。 [地元のメディアより]

nadasaki17.jpg岡山県南部地区の農業用水は約280億円をかけて「国営岡山南部農業水利事業」として、高梁川より足守川沿いにパイプライン造り南部に水を供給する予定だ。高梁川の真備町手前から総社市、RSKバラ園の横を通り都窪郡、そして早島および興除のエリアの広範囲に渡って高梁川の清流が流れ込んでくる、農業用水だけでなく水質悪化している児島干拓周辺の水質改善も見込んでいるらしい。しかし、足守川周辺住民は「百害あって一利無し」とし猛反対、裁判沙汰にもなっている。そして奇しくも本日(平成21年2月12日)そのパイプラインとしての足守川沿いに、かなりのゴミの無断投棄されているという報道。ゴミ有料化になって約10日後のこと。

児島締め切り堤防完成50周年 [地元のメディアより]

この2月8日に完成50周年を迎えて「岡山市の周辺5学区連合町内会でつくる記念事業実行委員会」により植樹式が行われた。遠い昔1959年に児島湾を締め切り、堤防から西は淡水、東は塩水ということだ。それ以前は大阪などからの蒸気船が瀬戸内海から乗り入れ、倉敷側を上り倉敷紡績、茶屋町の井草、ムシロなどの出荷で栄えていた。児島湾締め切り堤防は1961年3月に完成。従来海と繋がった児島湾は潮の満ち引きで生活排水も浄化されていたという、そこを締め切ったわけだ。四方から流れ込む川からは生活・農業排水は行き場を失い、水質は悪化。流域人工は62万人。流域人口密度1.200人/km2。その水質は環境基準の1.5倍と言われている。締め切り以後、水質保全事業として5,500億円の費用(2006年/四期20年)とも言われている。

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住所変更5年の間に3回の予定。 [地元のメディアより]

2005年3月22日は岡山市との合併に伴い「児島郡」の名前が消滅した日となる。そして5年後の2010年3月の合併特例区廃止にともに「灘崎町」の名前も自動消滅する。合併特例法により決まりであるらしい。残す場合「地方自治体260条」に基づいて市議会の決議が必要。該当する特例区協議会で意見を集約し、住民の過半数以上の署名と共に2008年11月頃に市議会に提出が必要という運び、残さないなら何もしなくてよい。新市建築計画推進局の立場では原則として廃止。よって旧町名が無くなる場合3回住所がかわることになる。例えば児島郡灘崎町彦崎→1回目、岡山市灘崎町彦崎(2005年3月)→2.岡山市南区灘崎町彦崎(2009年4月)→3.岡山市南区彦崎(2010年3月予定)。5年の間にあらゆる住所関連の書類・印刷物は3回の訂正・刷り直しを強いられる。灘崎町がなくなるまであと約13ヶ月。
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「灘崎」の名前は、約103年で幕を閉じる [地元のメディアより]

合併特例区協議会主催「灘崎町」名前存続の町民へのアンケートが興味深い。5012世帯にアンケート配布。「無い(町名)方がよい」1670(44.5%)。「灘崎残す方が良い」831(22.1%)。「灘崎町を残す方が良い1253(33.4%)。アンケートの結果が僅差のため灘崎町合併特例区協議会にお任せするとしたところ、ほんじゃ「なしってことで」となったらしい。ハハハ〜。ということは故郷の我が住所はたとえば「岡山市南区彦崎」ってことになる。スッキリしていいじゃん。なんだ、でもその南区ってのは・・。アンケートの無回答は1258。1/3は興味がないらしい。そう考えれば本来の昔から住んでいるいる人はだいたい2000世帯あまり、あと3000世帯はほとんどベットタウンとして入居してきた人たちなのでしょう。とみると、なんの縁もないわけでこの結果うなずける。そして約100年の「灘崎」の歴史は綴じる。
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